隣の人に優しさを
先日、俳優の大杉漣さんが亡くなった。
20代前半のわたしにとって、とても馴染みのある俳優さん、というわけではなかったけれど、テレビ越しからでも感じられる彼のお人柄は、優しくいられる強さみたいなものを持っている人だった。
二階堂ふみさんの追悼コメントに、
「いつでも隣の人に優しくて」
とあった。ああ、素敵な言葉だなぁ。やっぱりそうだったんだ。って、しみじみと、そう思わざるを得なかった。
最近のわたしは、わたしが唯一自分で誇りに思っている、「心の隙間」が、少しずつ、少しずつ、小さくなっている気がしている。
まあるかった心の形が、いろんな角度から削ぎ落とされて、少しずつ角が出来てきて、わたしの身体を内側からチクチクと刺す。
あれ?わたしってこんなだったっけ?
わたしの心って、こんなに歪だったっけ?
わたしの持論は、心と頭に隙間があればあるほど、人に優しくできる、というもの。何かに支配され、埋め尽くされた心と頭では、他のことを考える余地などまるでない。たとえある角度からはだらしなく見えようと、情けなく見えようと、思いやりを持てるならばそれでいい。人を傷つけない生き方が出来るならば、それでいい。
ほんの1ヶ月前のわたしは、出来ない自分が不甲斐なかった。「役立たずなわたし」。誰から言われたわけでもないのに、わたしはわたしにそう名付けた。早く名前を変えたくて、わたしは必死に次の名前を探してた。
そして今、出来ることは確実に増えたはずなのに、わたしはまだ、名前を変えられないでいる。
みんな、もっと褒められていいと思う。よく頑張ってるね、って。君のおかげで成り立ってるものが、確実にあるんだよって。
みんなきっとゴールが見えなくて、やってもやっても見えてこなくて、だけど走り続けるしかなくて。遠くの人はおろか、隣の人にすら優しくいられる余裕なんてなくて。
でもちょっと待ってよ。
みんなすごいよ。
当たり前に今出来てること、全然当たり前なんかじゃないよ。だけどまるで当たり前かのようにこなしてくれてすごいよ。ありがとうだよ。ほんとに、ありがとう。
仕事ができる人って、かっこいいなぁって思ってたけど、違う、それだけじゃない。仕事ができる自分を認めて、それを周りに還元できる人。なんてかっこいいの!
誰か褒めてー。
そしたらわたし、うんと頑張れるパワーを秘めてるんだから!
そう!だってわたしは、ユトリサトリ世代!ニーズに沿った方針でいこうよ!
おとといお父さんから、元気にやってるかいってLINEがきて、少し愚痴ったら、たった一言、
「いつでも笑ってな」
と返事がきた。
最高の解決策だよお父さん。
わたしの心の角が、少しへこんだ気がした。
そういえばわたしのお父さんもそうだな。
「いつでも隣の人に優しい」お父さん。
よーし、わたしだって。
「いつでも隣の人に優しい」、そんな強さを持ってやるんだ。
だから今日は、自分をうんと褒めてあげるために、あったかいココアでも飲んで、少しトゲのある歪なまあるい心を、ココアでたぷたぷに満たしてあげることにする。