世界より広いわたしの未来

今週のお題「受験」

 

 

わたしは高校生時代、とても不真面目な生徒だった。特に受験生である高校3年生は、私立の進学校であり、更に国公立大学を受験するコースにいたにも関わらず、残りの高校生活を謳歌すべく勉強など放棄して毎日のように遊び呆けていた。その遊び呆け方もタチが悪かった。学校が終わった後は、まっすぐ家に帰ることもなく、勉強もしないのに放課後の教室に残り、わたしと同じような不真面目な友達数人とやれお菓子パーティーだのやれ“ばかっこいい”の撮影だの(ペットボトルをどれだけかっこよくゴミ箱に投げ入れることが出来るか、などの成功するまでにただただ時間を浪費する遊び)を飽きることなく繰り返し過ごしていた。

 

 

勉強は嫌いではなかったけれど、わたしにはストレスを抱えてまで勉強をする理由が見当たらなかった。なぜならわたしには志望校というものがなかったからだ。

 

大学受験をする際に、親から与えられた唯一の条件は「家から通えること」で、関西圏に住んでいたわたしはその条件を満たす大学は腐るほどあった。選べなかった。将来やりたいことも、深く掘り下げて学びたいことも特になかったわたしにとって、大学選びは本当に困難なものだった。

 

高校の先生や親や周りの大人たちは、みんな口を揃えて「そんな早くから自分のやりたいことが明確に分かっている方が少ない。いずれ見つかるから、焦らないで、とりあえず大学には行っときなさい。」と言った。「とりあえず行っときなさい。」この言葉が呪いのようにわたしにつきまとった。

 

年の離れた兄姉は将来を見据えて専門系の大学や専門学校に行った。母も専門学校卒だった。父も自分の進むべく道のために、自分で学費を払いながら国立大学を出た。わたしの周りには、「とりあえず」大学に行った人はいなかった。国公立大学を目指すクラスメイトたちも、みんな今のこの高校生活最後の時間を、自分の将来のために投資してるんだ。そう思うと尚更「とりあえず」大学に行くなんて、真剣に将来を見据えている人たちに対して、そんな失礼なことを考えることは出来なかった。

 

 

かといって、高卒で働く勇気も度量もないわたしは、さあいよいよラストスパート、本腰をいれて最後まで駆け抜けましょう!の時期の10月頃に、やっとのことで志望校を決めた。当時読んでいた森見登美彦さんの「夜は短かし歩けよ乙女」で描かれていた京都の街並みに憧れ、全く勉強をしてこなかったわたしでも可能性はあるだろう得意な2科目受験の出来る京都の大学に決めたのだ。我ながらなんという端的な決め方、、

 

 

夏頃から、好きだった英語だけ本格的に勉強を始めていた。本当に運のいいことに、勉強をする上で相性が最高の先生に出会ったのだ。その先生は受験勉強ではない英語の勉強方法をみっちり叩き込んでくれた。

 

そのおかげで、公募推薦の約1ヶ月前から受験勉強を始め、2つの大学、3つの学部に合格した。わたしはなんとか、「とりあえず」大学に行くことに成功したのだ。

 

 

 

 

 

 

大学へ入学して半年。

ついに手持ち無沙汰になったわたしは、このままでいいのかな?こんなんでいいのかな?という自問自答を繰り返して、人生の迷路にどハマりした。そしてドロップアウト、退学。

 

 

 

 

 

で終わりの暗い話ではなくて。

退学する前に、本当にやりたかったことを見つけたのだ。海外の大学に行くこと。高校当時も頭の片隅にふわっとはあった。ふわふわっと。ふわふわっとし過ぎてたし、明確にする勇気もなかったから、遠回りをしてしまった。だけど、遠回りは悪いことなんかじゃないと思う。両親や兄姉には、たくさんお金を使わせてしまって、そこに関する申し訳なさはもちろんあるけれど、「時間」の面から見たら、わたしにとって必要不可欠な時間だったと今では思える。人間に厚みを持たせるのは、「経験」だと思う。どんな経験だって、いずれ役に立つ。物理的に、とは言わないけれど、それが正しかろうが正しくなかろうが、「わたしはこれをしてきた」或いは「してしまった」っていう経験は将来の自分の心の支えになる。

 

 

世界は広い。

だけど、自分自身の未来は、世界より遥かに広い。