父の覚悟

つい先日、わたしは人生最悪レベルの恐怖の30分間を過ごした。

 

「ハワイに向けて弾道ミサイルが発射された。ただちにシェルターを探せ。」

 

これが誤報だと分かるまでの時間、約30分。

 

日本時間は午前3時ごろ。家族はみんな寝ている時間で、(年末に子どもが産まれた姉は授乳中で起きていたのだけれど)きっと連絡がつかないことは分かっていたのだけれど、母に最後になるかもしれない電話をかけようか、若しくはその時間に助かるためにもっと他に何かできることがあるのか、頭の中はぐるぐるぐるぐると色んなことを考えざるを得なかった。

 

誤報だと分かった瞬間、わたしは自分の目から流れる涙を抑えることが出来なかった。

 

(家族と離れて暮らすって、こういうことか。)

 

日本を離れ、家族と離れて暮らすことを選んでから3年半。ホームシックになったこともあったけれど、それは最初の3日間だけで、それからは極度の寂しさもあまり感じることなく過ごしてきた。家族は兄夫婦、姉夫婦含め、みんな比較的仲のいい方だと思っているし、会いたいなぁと思う気持ちはもちろん常にある。だけど家族、特に母からの精神的な自立を目指して日本を離れたわたしにとって、この選択は間違いだったと思ったことは一度もなかった。

 

もともとアメリカは危ないという理由で留学に反対だった父を必死に説得し、了承を得たとき、父から貰った言葉はこれだけだった。

「あなたが日本を離れるというんだから、お父さんはもうあなたの死に目に会えなくても後悔はしないよ。あなたも、それぐらいの覚悟で行きなさい。」

 

2日前までは、その言葉をちゃんと胸に抱いて過ごしてきた「つもり」だった。2日前に突如として現れた30分間。その30分間で、この言葉の本当の意味を、家族と離れて暮らすことがどういうことかを、痛いほど感じた。

 

家族にこの出来事をグループLINEで報告したとき、普段はどうでもいいような日々の報告とか、よく分からない風景の写真とかを送ってくるくせに、それについての父からの返事は一言もなかった。既読はついていたから、読んではいたのだと思う。日本でもやっと朝になった頃、いつも通りの「おはよう」のメッセージが送られてきただけだった。

 

とても温厚でお茶目な性格で、父から叱られた記憶は一度もないけれど、家族にとって大事な決断は潔く下してくれる父。力ではない強さで、ぶれない軸で、家族を守ってきてくれた父。

「おはよう」のメッセージを見たとき、父の覚悟を、感じた。

 

 

 

 

 

そしてその日、父からはいつも以上によく分からない風景の写真がたくさん送られてきた。

 

父の愛を、感じた。